おかわり
あらためたくてノートにしました↓
半分、
今年も半分過ぎました、半分○で半分×な感じ、合わせて△じゃなくそのまま半分半分だな、家族と過ごす時間が増えたね、200枚ほどのCDを数回に分けてディスクユニオンに売った、ライブは今はなき阿倍野流流で2回だけできた、どちらもお酒の席も楽しかった、同時期に出たLampとceroの新譜にハマってまいった、itunesライブラリを文字通りライブラリとして機能させるようになった、映画は2本だけ観に行けた「リバーズ・エッジ」と「万引き家族」、満ち足りていることと物足りなく感じることが全然違うところにある気がして変な感じ
希望はあってもとくに何の予定も決まっていないので下半期どうこうなんて言えないな、毎日できるだけをやるだけだ
5月
多くは語らないけど思い返すと不思議に良い余韻が漂う、そんなひと月
大阪城ホールが見たことのないような膨れ上がり方を見せた小沢健二「春の空気に虹をかけ」(あ、それは4月末のことやけど一続きの流れとして置いておきます)に満たされ、阿倍野流流に捧げた自主企画「ここには歌が残る」で歌いもがき、そして届いたLampの新作「彼女の時計」の瑞々しさに酔いしれ
並列にするとなんか違うのは承知ながら、どれも深く密に心に刻まれ残ってゆく予感
そうして、残していかなきゃなんない、が引き続く
Lampの歌詞は前々から聴いていて気恥ずかしくなるところあったけれど、それが初めて落とし所を見つけ実を結んだ気がする、キラキラとした演奏全体が絶妙に歌を引き立てていて、音楽愛を感じる素晴らしいアルバムだなあ、毎日聴いています。
ここには歌が残る:あとがき
終わってしまってから1週間はわりと腑抜けで、一度これを途中まで書いて下書きにしたまま寝かせていたら今日になってまた、改めて書きなおしています。
いやあ、ライブは特別でしかも自主企画なら尚更で、ずしんと重たくてするっと落とし込めなくて、ふだんの生活に帰るのに時間がかかるぐらいで丁度いいかもなあ、と今はそう思い込ませています。
ぼそぼそっと始めてしまいましたが、「ここには歌が残る」ご来場くださったみなさん、土井玄臣さん、panamaさん、そして会場の流流の西村さん、どうもありがとうございました。お陰様で思い通りになったことも、力不足で思い通りにならなかったことも含め、まるっきり自分のイベントだった、と思います。お付き合いくださって何かしら残るものがあったのなら本望です。
写真はほぼ撮らなかったので、文章のみで振り返りを。当日来られた方はご自身の記憶と重ね合わせてみたり、来られなかった方は想像してみたり、よければどうぞお読みください。
風が強い日だったけど、暑すぎず寒すぎずでそういう意味では丁度いい天気、すっかり慣れた阿倍野 流流へと続く静かな住宅街を当たり前のように通り抜けてゆく。一抹の寂しさを感じるのはこうやってあとになってからだったりする。
「おはようございます、搬入の件はややこしくなってすみません」と、西村さんに挨拶をしてから、会場のレイアウトをいつもとは少し変えて、自分のリハーサルをしていたら、土井さんがほぼ時間通りに到着。こうやって土井さんと共にライブをするのも当たり前のようでかなり特別なことなんだなあ、と、それがほぼ一日中続きました。
明日大阪は阿倍野 流流ってとこでちょっと長めのライブします、最近出した「針のない画鋲」も持って行くのでまだ聴いたことなかったらこの機会にどうぞ、私は15時くらいから、でかいヘラジカの背中に乗って現れます
— 土井玄臣 (@ketsumikonokami) 2018年5月3日
ちなみに前日の土井さんのツイッター上での告知はこんなでした、ヘラジカ、、(笑)
当日は、あれよあれよ、とあっという間に劇的に過ぎる春の日。
panamaさんの当時の面影がそのまま蘇るような演奏、土井さんの止まっては進むどこか問題定義のようでまたヒントのようでもあるドキッと突き刺さる演奏、とライブが続いて、改めて思ったことはその発音が好きやなあ、ということ。話し声に近いpanamaさんの日常が伝わるような平熱感と、時折低い唸りが混じる土井さんのハイトーンの独自性。おふたりの演奏、もっと聴いていたかったです。
土井さんの演奏が終わり、当日のセレクトBGMを2種類用意していたので、土井さんにどちらか選んでいただき(あまり上手く伝わっていなかったのはご愛嬌で)、「悲しく腹が立つ」か「しか」のどちらかから、「悲しく腹が立つ」になりました。
ちなみにこんな曲目↓
悲しく腹が立つ/イ・ラン
屏風浦/くるり
Never My Love/Lambchop
Balm In Gilead/Nina Simone
3:15/湯川潮音
I Like the Sunrise/Duke Ellington
Hometown Hero/Andy Shauf
稲穂/折坂悠太
Tango Till They're Sore/Madeline Peyroux
Nobody Other/Kadhja Bonet
Verde/Tuca
そうして休憩を挟んで、私は11曲、未だ完成していないアルバムのことをどこか意識した曲数で歌いました。
それとは別に、イベントタイトルとして引用した土井さんの「歌にはそれが残る」を2回歌わせてもらいました。イベント開始のオープニング挨拶の際にギター伴奏なしでひとりで独唱し、最後に再び土井さんとpanamaさんと私のギター伴奏ありで3人で合唱をしました。
当日お渡しした特典音源には3人での練習の際のそのまま(+家で少し音を足してあります)を収めてあります。当日の演奏にはコーラス部分の前に歌詞を追加してみました。これも土井さんの提案でしたが、あの日あの場所の思い出になればな、と。一部のみ公開しておきます。
いくつもの川が流れ込んだ ここで晒される心を寄せ合った
3人での演奏のあと、予想外のアンコールをいただいたので「ある春」を、その場での思いつきで初めて途中からアカペラで歌ってみました。それは良かった気がします、生身の歌で始まり終わる日になって。
歌詞忘れてばかりの土井玄臣さんはとりあえず置いといて、panamaさん、久しぶりの丘本浩一さん、3人の「歌にはそれが残る」(土井玄臣さんの名曲)とてもよかった。嬉しかった。panamaさんはlowのクリスマスアルバム検索してて知ったんだ。 pic.twitter.com/Pdyoek9SEJ
— ねむたい目レコード (@nemutaimerecord) 2018年5月4日
ここに写る過去(懐かしい私の無料配布音源とpanamaさんの音源)と現在(土井さんの新作「針のない画鋲」)が繋がることもあったみたいで、そういう日になればな、と思っていたので、とても嬉しいです。
ライブ活動はされなくなったけど、それでも時にギターに手を伸ばし曲を作っておられるpanamaさん
ライブ活動は控えめながら、新作を出されて独自の活動を続ける土井さん
同じくライブ活動は控えめながら、なかなか作品が出せずにいる私丘本
この先どうなるかは分からないけれど、そんな3人の歌と、観ていただいた方と、そして流流の過去と現在が交差するような機会になっていたら、良かったな、と思います。今一度、ありがとうございました。
お世話になった阿倍野 流流が営業を終了されて、ひとつの時代が終わったよな、そしてまた何か始まるよな、とそんな境目で、
どこかこれで終わりかな、と思っていた私も、戻って次を見据えています。
初期衝動が抜け落ちたような、でも確かに初めての、そんならしくないファーストアルバム、が完成したら、また巡れそうな気がしています。気は気で大事に
ここには歌が残る
2018年5月4日(金・祝) @阿倍野 流流
丘本浩一 presents 「ここには歌が残る」
出演:丘本浩一/土井玄臣/panama(オープニングアクト)
開場/開演 14:00/14:30
予約/当日 ¥2,000/¥2,300 (1ドリンク込)
※ご来場特典CD-Rあり(ご予約者優先・先着順)
※定員30名、ご予約はコチラまで:okawokudareba@gmail.com
まずは前置き的に、今回ポストカードサイズのフライヤーを作りましたが、裏面の文字が小さく文章が読み辛くなってしまっているので、その補完として抜粋をどうぞ
阿倍野 流流が残念ながらこの5月で閉店となることを受けての約2年ぶりの自主企画です。きっかけはあれど、つまるところ誰にも頼まれることなく只やってみたくてやるライブ。みんなはじめはきっとそう、大事なやつ。ちなみに前回は10周年ワンマンライブ「とよりでからのへや」。数字のお話が続きますが、そういう自主企画としては4回目、自主企画としては初めての2マンライブ(厳密には2マンだとは思っていないのですが、ひとまずの便宜的な表記)です。
2010年に行った「なぞのしろ」にも出演していただいた土井玄臣さんをまたお迎えして、今回は長めの演奏時間を設けました。出会ってからもう10年以上になる土井さんですが、長尺のライブを大阪ではされたことがないような気がして、そして何より自分が観てみたいので、まずは土井さんにお願いしよう、と思い立ったのが今回のはじまり。
イベントタイトルも土井さんの曲「歌にはそれが残る」から拝借しました。
土井玄臣 - 歌にはそれが残る → 夜の眼の眼が開いた @カフェアリエ [LIVE]
土井さんは3月に新作「針のない画鋲」を発表されて、そのタイミングでとあるラジオ番組にゲスト出演されました。その際の最初の挨拶が、
「土井玄臣です、なんだろうな、、あ、なんもないや」
こういうところがなんとも土井さんらしいな、と思います。あえて淀みを捨てない姿勢、とでも言いましょうか、能ある鷹は爪を隠す、そんな言葉も浮かぶ。
その新作「針のない画鋲」は土井さんの儚げで危うさのある歌がなだらかに続き、それはまるで日々の生活に潜む通奏低音のようでありながら、どんよりと垂れ込めてしまうことはなく、遠く「みえないひかり」(オープニング曲のタイトル)に導かれるような聴き心地で素晴らしかったです。
そんな土井さんの深い歌のトンネルの入り口の前に、すっと入り込めるイントロを作ってくれそうな方をと、オープニングアクトとしてpanamaさんにお声掛けしました。
panamaさんとも活動初期に出会っていて、歌もそうだけど、話し振りにも不思議な親近感を覚える方でした。人ってふつうステージに立つとどこか意識的になってしまったりすることって多いと思うのですが、そこから生まれる気負いや、自分を良く見せたい気持ち、そういうものが希薄に見えて、そのままその人が歌っている感じに惹かれました。
先日とても久し振りにお会いした際にも、きっと5年以上ぶりぐらいなのに、会った瞬間にその感じが蘇ってきて、ああ、これだ、と思い出しました。
panamaさん、文字通りの意味ではない不思議なキャッチーさを持っている方だと私は思っています。数年ぶりの久々のライブだそうでとても楽しみです。
土井さんもpanamaさんもライブ活動が頻繁ではなく、どうやら出演者3人ともこの先のライブが決まっていないようなので、この機会にぜひその音楽を生でじっくり体感していただきたいところです。少し脱線しますが、予約者優先・先着順の来場者特典の音源CD-Rにも、ありがたいことに、土井さん、panamaさん、参加していただきました。
私は私で会場の流流に身を捧げるような、誇張してしまうとどこか骨を埋めるような気持ちで歌えたらな、と思っています。具体的にこれ以降のライブのことは何も考えていなくて、ありがとうさようなら阿倍野 流流、でやりたい。
それでは長くなりましたが、ここでしかない特別な何かを感じてもらえるよう当日に向けて準備しておりますので、よろしければ最初から最後までお楽しみに、ご来場お待ちしております!
最後に、補足的に土井さんpanamaさん関連のリンクを↓
panamanico | Free Listening on SoundCloud
そして、オマケ
当日に向けての打ち合わせを終え、前打ち上げ的な気持ちになるのを抑えられず思わずパチリと撮ったおふたりの微笑みを
3→4月
日課的に姿勢と目線を正そうとする、またどこか祈るような気持ちでひとつのおにぎりを握る、そんなここのところ、特に何かのたとえではありません。
昨日、近所の安売りのお店で税込200円で叩き売られている今年のカレンダーを3つ買いました。ふたつは寝室にひとつは作業部屋に、寝室のひとつは今年早々に断念した日めくりカレンダーの代わりに週替わりの猫ちゃんのやつを、作業部屋には一見ぼんやりとしつつ眺めるとスッキリした心持ちになる東山魁夷のを設置。
さて、気づけば4月。3月は久々のライブがあったり、去年行きたかったけど行けなかった人のライブを観に行ったりで、伸びをした気分。
自分の演奏を聴いてくれたみなさん、ずしりとくる演奏をしてくれたみなさん、ありがとうございました。今からひとつひとつ書いていくと冗長になるので割愛しますが、当たり前ではなく目の前で音楽が鳴って、自分の中で響くような感覚はいいものですね。
その久々のライブでも、今までもお世話になった阿倍野のイベントスペース・ギャラリー、流流が5月6日を以って阿倍野での営業を終了されます。なんとか滑り込みセーフで、5月4日の金曜、祝日(みどりの日)にライブを企画させてもらうことになりました。
詳しくは改めて書くつもりですが、「ここには歌が残る」というタイトルで、お世話になった今の流流に今の自分の精一杯を捧げるつもり。少しでも気になってくれて、この日もし予定が空いていて都合がよければ、是非来ていただきたいところです。
久々に作ったフライヤーの出来は不親切なところができてしまったけど、しっかり丁寧に歌をやろう、とただそれだけのこれから
おまけ的に、ようやく春を迎えたところで、冬から春に向けて長く繰り返し聞いていた数枚のアルバムからネットにあるのを1曲ずつ↓
1年以上ぶりにキセルのライブを観れば、まるで別のバンドみたいに成立していて、なぜかとても安心している。変われるかは分からないけど、変えていくことでしか続けられないもんなあ、と思いながら。