のこりもの

おすそわけ

7月

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今月に入ってからレコードを買うようになりました。上の写真が今手元にある盤で、どれも本当により最高だと思えるようになって嬉しい。

長らくダメになっていた針を買い換えて、久々に針を落としたときの感動、、オーディオ環境・モニター環境を整えることをそれなりにはしてきたけど、すっきりした高解像度よりも私には今このふっくらした音がたまらなく愛おしくある。やめられない感覚。

そして、昨日、およそ1泊3日、はじめてのフジロック旅から帰ってきました。帰ってきてから腰を落ち着けて最初に聴いたのが旅の間に届いていたビーチ・ボーイズ「スマイリー・スマイル」の重量盤、まさに言わずもがな最高。

ひとりぼっちで土曜日のみ観に行ったフジロック、それなりに準備をしてみても雨には容赦なく降られたり体力は奪われたけど、ぼっちでも雨に打たれても遠く足を運んだ価値は大いにあった。

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2001年当時、何度も読み返したこの歌詞カードのブックレットの最後のページの右下辺りに書かれていることを、あれから時が経って体感できた。こんな日が訪れてとても良かった、と書くだけではまるで収まりきらない感覚を身体に覚えさせ糧にしてゆくつもり。

余談ながら私が観に行った前日には、上のブックレットにも記載がある通り2001年当時解散していたサニーデイ・サービスが時を経て、またフジロックのステージに立っていた、というのも感慨深いなあ

 

さて7月、あの日から1年が経ってしまったわけで、

それを意識せずにはいられない日々が続く中、よし、と思いついたことに多くの時間を費やしました。

来月は久々にライブが2つあって、まさにそのときにお披露目します。ネット上にはそれ以上書きません!「告知の告知」みたいなのをよく目にするようになった気がしますが、そういうのとは真逆のことをやってみよう、と。

蓋を開けてみないと分からないワクワク感を残しておきたい気持ちと、元来のひねくれ癖のせいです。

 

作業を進める合間、フジロックに行くちょうど1週間前あたり、ご無沙汰ながら近くにもライブ観に行きました。

土井玄臣さん・青木拓人さん・加納良英さんという(かつて自主企画イベントに出てもらったので)私のためといっても言いような共演と、3月33日のワンマンライブ。

比較は置いといて、似た人を挙げるのが難しい、替わりのないだろう音楽をそれぞれ続けてやっていてくれて、尊くもある嬉しさがあった。

土井さんが普通に考えるとどうしようもなく言わなくてもいいMCの後に「んんん」を熱演したところなんか、まさに「これが私なのよ」そのもののようで、きっとずっと忘れられないだろうな 


それでは、熱い夏、なるべくお元気で

フルーティ

6月もおしまい、今年も半分おしまい、、心を落ち着かせながらもここぞとばかりに燃やしてゆきたいところ。

ようやく「火花」見終わりました、ようやく「人生フルーツ」見に行けました。どちらも素晴らしくて、時間があって見られる人には勧めたい作品。

「火花」は民放の連ドラによく見られるような1話ごとの起承転結に乏しい分、小さなエピソードの連なりが生々しく大きなうねりとなって、後半に向けてドーンと花火が上がるかのようでいて、それとは逆に火花が散りゆくような儚さがとても心に残った。散った火花は煙になって消えてゆくけれど、その余韻はとても愛おしく残るもの。

同じく生々しい人と人とのやり取りの美しさを思い起こさせてくれた、近しい人のブログでのコメント欄のリンクも貼っておきます→ヒトリバンケット BLOG 続・コンビニ人間

www.hibana-netflix.jp

 

そして「人生フルーツ」、時を経てニュータウンの片隅で自給自足を営むようになった老夫婦のドキュメンタリー。と書いてしまうと勿体無い、それを大きく超える、事実は小説よりも奇なり、を地で行く、素晴らしく心揺さぶられる物語。「スローライフ」の先駆者とも評されるお二人の姿はDIYを貫いていてどこかパンキッシュにも映る、しかし穏やかさは絶やさない。「人にやさしく、まわりにやさしく」そんな言葉にすると簡単だけど、至極難しいことをやってのけてきた軌跡の奇跡をじっくり目に焼き付けました。暮らしそのものの豊かさを大切に見つめる視点と戦争の影響を語ることが不可避なところは「この世界の片隅で」とも通じていて、今語り継がれるべきものだなと思った。 f:id:okawokudareba:20170630230732j:image

買って帰ったパンフレットを読み返すだけでまた涙誘う、良い意味で困った作品。大阪では8月頭までは上映されるようです。

映画『人生フルーツ』公式サイト

 

なんというか、入力過多で出力に困っているようなきらいがありますが、触れられた作品の美しさに敬意を払いつつ、語り継がれてゆくことの尊さを思い、日々を、時を、ためてゆきたい。いざ夏本番

愛の休日

5月もまたおしまい、今月ほぼ毎日聴いてた曲はコレ↓


柴田聡子「後悔」(Official Video )

ああ、きた、あの曲がきた

ねえ、いま、君も気づいた?

歌い出しから何かが始まりそうなワクワク感、もし別のタイトルをつけられるなら「本気」でしょう、そんな気合いがビシバシ伝わってくる1曲。ドラムとベースとコーラス含む歌声だけで曲はおおよそ成り立っていて、それはモータウン的とも言えそうで(2:42という曲の短さも!)、もともとのアコギ弾き語りのイメージから大きく羽ばたいた感のある強靭なポップス。歌詞には突拍子さも挟みながら、準備する・祈る・抱きしめる・本気、といった普遍的な言葉・テーマがここぞとばかりに散りばめられていて、オザケン「強い気持ち・強い愛」あたりを思い出したり。もしこの曲を他の曲の間に並べるなら、大貫妙子「くすりをたくさん」荒井由美「中央フリーウェイ」の間に入れたい、そんな曲が2017年にしかもこの人から聴けるとは思いもよらず、なんとも心躍りました。

そんな1曲も入ったアルバム「愛の休日」のことを書いておこうと思います。

愛の休日

愛の休日

 

一聴するとフォーキーな感触がありつつ、聴き進めるほどに不思議とはぐらかされる、散らかりながら広がる柴田聡子ワールド。どこか偉そうになってしまうけど、きっと彼女は跳躍したかったんだ、と思う。その跳躍は離陸と着地点がまるで違っていて、そんな跳び方する人いないよなあ、という面白さ。

柴田さんのことを書く上で歌詞のことは避けて通れないところで、改めて思うのは、説明的な描写は控えめに、あえて親切さとは程遠いあくまでも自分の視点をそのままぶち撒けるかのような描写の多さ。デコボコでいびつな言葉の連なりは一見ふざけているようにも聞こえて、たとえ本人はまじめなつもりでも、そのユーモラスさがシンガーソングライター的な生真面目さを回避し、独特な開放感を醸し出している気がします。

完成度や統一感のある名盤、とはまた違う、この人にしか到達できない音楽で、やっぱりこの先も気になる人です。

 

自分の近況といえば、引き続き録音という名の沼にいます、文字通りの沼感あって抜け出せるのはまだまだ先になりそう。

不思議なタイミングで連絡くれたり会えた友だちにはありがとうを言いたい、どこか祈りに近いようなイメージでRECボタンを押せるようにしてゆきたい

5月1日

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初めて訪れた神戸は北野の老舗、ビッグアップル。ホームページに目を通すだけで分かる我が道をゆく姿勢のお店、実際中に入ってみて感じるそれは嫌なものでは全然なくて「古き良き」が自然と残されてきたんだろうな、お客さんに愛されてきたんだろうな、と思わせる雰囲気がありました。おかげでとても落ち着いてじっくりライブを観れてよかった、お目当ては渋谷毅さんと二階堂和美さん。

その組み合わせでの演奏を何年か前に(たぶん服部緑地、「レインボーヒル」で)観たのが脳裏にしっかり焼きついていて、とくに渋谷毅さんのピアノをいつかじっくり聴きにゆこうと思っていたまま時はあれよと過ぎてしまい、ようやく機会を見つけて聴きに行けました。(二階堂和美さんとの共演が決まったのは今回行こうと決めてからで、しかもその共演自体が10年ぶりぐらいとのことで素晴らしい偶然!)

ライブは渋谷毅さんのソロピアノからスタート、の前に、会場にふらりと現れた渋谷さんはとても「ふつう」で何気なかった。何年か前に遠くから見たそのお姿はなんだか神々しく見えて、勝手に仙人のような人だと思っていたけど、近くでその存在を意識することになると、まるで気合いや気負いが感じられなく、ただそこにいる、そんな風で自然な存在感。

それから始まった演奏は深く静かに瞑想しているかのような、良い意味で跳ねない、一音一音思慮深く落としてゆくようなピアノの調べで、じわじわとまるで時を止めてしまうかのような夢心地のひとときでたまらなかった。おそらく40分程の演奏は短く感じられて、ああ、このまま醒めないで、と思わずにはいられませんでした。

休憩を挟んでニカさんこと二階堂和美さんと渋谷毅さんデュオ、久々に生で聴くニカさんの歌はやはり圧倒的で、曲毎に表情を変える歌声とそれに合わせて体を大いに動かす、全身で歌うその姿は観る人を惹きつける魅力に溢れていて、まさしくニカさん節。しみじみと聴かせられる「女はつらいよ」を歌いながら、前方のお客さん一人一人と握手を交わしてゆき和やかさと破綻を同居させる、そういうのが様になるのもこの人らしさ、だなあ、と。

私も握手を交わしてもらった中の一人で、その手の感触から感じたのは女性的な柔らかさではなく歌い手・演者としての力強さそのもので、それがとても印象的でした。

渋谷さんのピアノは寄り添う、というよりも、居座るという感じで、ニカさんの歌の溌剌さとの組み合わせが新鮮だった。いつか服部緑地で聴いた、渋谷さん作曲の「つるべおとし」を時を経てまた生で聴けて、とても感慨深かった。

柄にもなく渋谷さんからサインを頂戴して、帰路に着きました。ありがとうございました、ビッグアップル

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御年77歳の渋谷毅さんの佇まい、演奏を観て、余計に思うことは「ふつう」にいることの素敵さ・難しさ

ミュージシャンだから、格好つけないと、とか人を惹きつけ掴まないと、とかそういった「普通」の考えに締め付けられることなく「ふつう」に人前でただ培ってきたものでもって演奏をする、逆説的な特別さ

↓最近読んだこの話題の本に通ずるところがあるなと思いました。「普通」の考え、から逃れて「ふつう」に暮らすのが、いかに大変か

夫のちんぽが入らない

夫のちんぽが入らない

 

 

長々と後半はまどろっこしい文になった気もするけれど、5月はこんな風にはじまりました、ふつうに録音がんばります

4月7日→

遅くなりましたが、4月7日金曜日、谷町九丁目ワンドロップでライブでした。あの場にいてくれたみなさま、ありがとうございました。

共演は内田修人さんといおかゆうみさん、お二人と直接そういう話はできず終いでしたが、パーソナルな響きのする歌が続く静けさが心地良い夜でした。

内田さんの歌はギュッと詰め込まれた言葉が耳に飛び込んできて、そのキャッチーさに感心します。都市生活での葛藤を感じさせるような現代的な描写が多い中、歌詞に「パリ」が出てくる曲が印象的でした。妄想力が高そうな人だなあ、と勝手に思っています。

いおかさんは彼女が10代の頃にも共演していて、歌を聴くのは結構久しぶりで、かつてはどこか線の細さを感じたりもしたけど(あまり人のことは言えないながら)、ときに力強く歌い上げる様は無理なく体に染み付いているようで、時の流れを感じられました。

私、歌い方を矯正中で、むず痒くもありながらも、おかげさまでなんとか歌いきりました。

演奏した曲はコチラ、

1. つまるところ
2. 春がひとり歩き
3. なんとなく
4. 日々
5. 毎日のこと
6. ある春
7. あああ
8. みなもと

この曲順を決めたとき、去年の10周年ライブ「とよりでからのへや」のその先を意識することになった、自分の中で、少しは前に進んでいると思い込ませます。

演奏を終えて「ありがとうございました」と言葉をかけられることがある、歌でギブアンドテイクができたならそれこそ有り難いことなので、そういうことはしっかり受け止ようと思う

 

これにてライブ予定がほぼ白紙になって、それからは毎日なるべく机に向かってコツコツと音を録り貯めていっています。まずは自分を驚かせられるように、ああだこうだ、探り探りの毎日ですが、楽しくも先が見えなくてやめようがありません。日の目を見られるよう気長にやります、お楽しみに

 


気づけば5月になりました、今日はこのピアノを弾くおじ(い)さんを観に行きます、おお楽しみだ

⇄4月17日

時が経ってよかったと思うことがある、ずっと家で音楽を作っていた彼が外に出て歌うようになって何年たったろうか、寺田遼一のライブが歌が今とても自然に胸にじわりと響いた。帰り道、ふいにコンビニに入りサンドイッチとカップ焼酎というまるで合いそうにない不思議な組み合わせを買って手渡してくれて面白かった、そんな彼ならではの自然発生的な揺れが歌になっているのだなと思ったりもして、そんな昨日。

丁度その一週間前には久々にカーテンズを聴きに行った、演奏が丁寧に練り込まれているのはそのままに今まで感じたことのなかった穏やかさがあった、凪いでいるようで不思議な聴き心地で。

ポールこと寺田くんの前には山田智史くんが、カーテンズの前には折坂悠太さんが演奏していて、その影響もあっての感想なのかもしれないけど、自分にとって今耳にしたかった音楽だったと納得している。

一昨日は奈良のとある湖で手漕ぎボートに乗ることになった、見渡す限りの山の緑の中に佇むだだっ広い湖、風に流されるボートの上、漕いでくれていた仲間が「今は丁度流されよう、と思っているんです」というようなことを言った。その日珍しく大いに遊び倒して、歳のせいか1日置いてやって来た筋肉痛を感じながら、流れ流されてここまで来たなあ、と思っている、今、いつも会うわけではなくても仲間と呼びたい人たちがいることには恵まれているなあ、とありがたく思います。

 

結局こないだの自分のライブのことはまた次回に書くことになりました。ダメだ、さあ、今日もプリプロ

春のつぶやき

ありがちな春らしい心持ちになってきました、どこかで前向きになることを避けたがるきらいがあるのですが、今はいいや、みたいな

「もとにもどる」音楽を作ろうとしながらも、音楽は前に進むものだと教えてくれる音楽をいくつか耳にする、入り込んで聴くパラードには思わず涙

ひとりではどうにもならないとよく思うようになった、それでもひとりでやり切るタイミングだ、好きな人にもまた会えるよう

ドイツからわざわざ取り寄せたCDを開く、あと1枚同じく海外から届く予定でそれが届いたら何かの合図だと思うことにしよう

こないだのライブのこととか、また改めて書きます。おやすみなさい